2009/01/13

Punks Against G8 - (5) : いまだ

更新というより途中経過を。

Gotcha / Rosapark - Punks Against G8 split CDに掲載するAcclaimの声明がいまだ完成していない。この声明が完成しないことには、この作品はリリースされないので、早くしなければと思いつつなかなか進まず。残すはこの声明だけなのである。


今、私はなぜこのプロジェクトを始めようと思ったか。パンクスがG8に抗議することとはなにか。GotchaとRosaparkーーこの2バンドを誘った意味・参加してくれた意味・共に抗議する意味とはなにか。そして、この日本という地からG8に抗議することとはなにか。これらのことを両バンドのマスターを毎日聞きながら考えている。

とにかくG8に対する抗議は派手にいきたい。この一点だけは固まっている。私は「暴動」ーーマスメディアが伝える「暴動」と差別化した最上級の言葉で表現すれば「Insurrection (叛乱)」 (そういえば、AcclaimからリリースされるGotchaのもう一つのスプリットの相手・Protesteraのタイトルも「Insurrektion」であった。私にとってこのことが大きい。)ーーこれを持ってG8に反撃したい。それが心の中に発現する「叛乱」であれ、行為として発現する「叛乱」であれ。

もちろん、私は実際の「叛乱」を経験したことはない。しかしながら、私が一番刺激させられるものを考えてみるとなぜか「叛乱」なのである。 これは、私が世界中の「叛乱」パンクスたちの「現実」と常に接してきたこともおおいに関係しているだろう。そしてなにより私がこの日本という地で生きていることが最大の要因なのではないかと思っている。日本のように陰湿なコントロール (支配) が緻密に貫徹されているような国では、「叛乱」にはとりわけ解放感を感じる。加えて、現在ギリシアで起こっている暴動 (叛乱) の例を取れば、私は「叛乱」こそに多様者の闘いの可能性を見るからである。


ノルウェー・オスロのSummon The Crowsというバンドのメンバーがギリシアに行った際、ギリシアのアナキスト・ムーブメントに関わった経験を、以下のような曲にして自身の "s/t" 7"に残している :

"So the Mindless Dance Continues" (だから愚かなダンスが続く)

だが、棒や石や火炎瓶を持って
俺たちは自分たちのやり方に決着をつけるために闘うだろう

奴らの城なんか全焼だ
奴らは俺たちを押さえつけることなんてできやしない!

(ギリシアのアナキスト・ムーブメントに捧ぐ。俺はそれを革命の最初の味を味わうかたわら仲間と共に楽しんだ。まったくパワフルな経験だった。暴動を起こすことは、それが行動の型に直接的に反しているので、活動として非常に解放的な経験かもしれないことを俺たちは教えられた。歌詞は、ギリシア警察がピレアス大学を襲撃するために、催涙ガスを使用した2日後の1999年6月に書かれた。ここでアナキストの囚人のためのベネフィット・ギグが行なわれていた。)

- Summon The Crows

「暴動を起こすことは、それが行動の型に直接的に反しているので、活動として非常に解放的な経験かもしれないことを俺たちは教えられた。」

この彼らの言葉は、私が「叛乱」こそに多様者の闘いの可能性を見る理由を見事に代弁してくれる。ある意味、彼らは私と同じ境遇にあるパンクスだろう。ここには、実際の「叛乱」を経験したことのない者でさえも共感しうる何かがある。しかし共感してばかりもいられない。私は実際の「叛乱」の彼方で言説される「嘘」にも挑戦しなければならないと思っている。「多様者」の闘いの可能性を見るなら。

G8ーーこうした少数の支配階級の真の目的が民衆の敵対・分断であるように、やつらは本来「多数者」である私たちに、「少数者」の論理を信じ込ませようとする。「少数者」言い換えれば「選ばれしもの」の論理は、資本主義の標準化をさらに押し進めるものでしかない。その悲惨な結末は、選ばれしものだけが残り、それ以外のものはクズ同然死ねといった私たちの社会を見渡せばもう言うまでもないだろう。そしてこのような社会に「生きづらさ」や「息苦しさ」といった「違和感」が生じてくる。またそれは「自殺」というやつらの殺人に利用されもする。しかもこうした「違和感」はこのような社会に生きる人々の間には共有されるべくもなく、また人々の間で越えられることもない。資本主義の標準化とは、「偽り」を承認するための「沈黙」に依拠しているからだ。人々はいっさいの「違和感」に嘘をつき、沈黙してしまうのである。「選ばれしもの」になるためには「違和感」などと言ってられないのだ。つまり、G8が身を隠し、みずからを守る会議場の「選ばれしもの」の「壁」はこの社会のいたるところに建設されている、ということなのである。この「壁」の隔たりこそがこの社会の「闇」と言えよう。

このことから、私はG8に対しては違和感を越える (つなぐ)「叛乱」あるいは闇を切り裂く「叛乱」が必要だと感じている。では、違和感を越える (つなぐ) 「叛乱」あるいは闇を切り裂く「叛乱」とはなにか。その答えは声明の中で明らかにしたいと思う。

ちなみに、声明の締めの言葉だけは決まっている :

「この作品を聞いて世界中のパンクスが一人でも多く石や火炎瓶を投げてくれたら幸いだ」

私はそんなパンクスが一人でも現れたら、大げさだが世界中のどこへでもそいつに会いに行くつもりだ。でもマジで。だが、今、この日本という地においては、石や火炎瓶が投げられる (飛びかう) ような「叛乱」が「頻繁に」起こるのか、という問いも出てくる。それはこのような厳重な警察国家の陰湿なコントール (支配) が貫徹されている下ではあまりに「非現実的な」話かもしれないし、リスク もある。ここでは、「現実的な」リスクのない「叛乱」が最優先となることもまた事実だ。では、どんな「叛乱」が? その答えも声明の中で明らかにしたいと 思う。

もう一度繰り返す。

今、私はなぜこのプロジェクトを始めようと思ったか。パンクスがG8に抗議することとはなにか。GotchaとRosaparkーーこの2バンドを誘った意味・参加してくれた意味・共に抗議する意味とはなにか。そして、この日本という地からG8に抗議することとはなにか。
これらのことを両バンドのマスターを毎日聞きながら考えている。

しかし、こんなことをブログに書いている暇があったら早く声明完成させろと自分に言いたくもなるが
(笑) 、このように思ったことをぶっきらぼうに言葉にしてみることで、何か思いつくことがある。

最後は、GotchaのヴォーカリストであるUッチーの「A-cclaimの声明があってこそ招待状になるからね (笑) 」という言葉を胸に刻みつつ、声明の完成を目指したい。

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